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織田信長 四三三年目の真実 レビュー

こんにちは、グルコースです。

皆さんは、織田信長(おだ のぶなが)はご存じかと思います。

尾張国(おわりのくに、今の愛知県)の地方領主から始まり、一時は日本一の勢力を誇るようになり天下統一が見えるところまで行きましたが、1582年、本能寺(ほんのうじ)の変で、家臣の明智光秀(あけち みつひで)の謀反により命を落とした超有名人ですね。

一般に広まっている織田信長の人物像と言えば、合理的な考え方に基づいて既存の常識や権力を破壊し、気性は荒く、気に入らないものには容赦のない人物というイメージではないでしょうか。

今回ご紹介する本は、織田信長の人物像やその持っいた知識や考え方について、書かれた本です。

織田信長 四三三年目の真実

概要

この本は、「本能寺の変 431年目の真実」の続編という位置づけの本です。 著者も同じく、明智光秀の子孫とされている方です。

本能寺の変 431年目の真実」については、本能寺の変 431年目の真実 レビューにレビュー記事を書いていますので、あわせてご参照ください。

前作は、明智光秀がなぜ本能寺の変を起こしたのかという今も様々な説が唱えられている疑問について、新しい説を唱えるもので、本能寺の変というのは、実は信長の立てたある計画を、明智光秀が利用して、信長を殺害した事件である、というものでした。

しかし、読者からは、信長がそのような計画を立てるのが信じられない、という意見が多かったそうで、そのような方に向け、現代人の常識的な感覚や知識と、当時の戦国大名のものは異なることを示すため、織田信長の持っていた知識や考え方というのを中心に書かれたものです。

内容については、前作と同じく、信憑性のある事件当時の文献のみから全てを説明できるものを探し出すという、著者が「歴史捜査」と名付けた方法に基づいており、従来の信長像とは異なる部分もあります。

まず、信長は中国の古典を深く学んでおり、今川義元(いまがわ よしもと)を討った桶狭間(おけはざま)の合戦の勝利も、偶然ではなく必然であると主張しています。この点については、合戦に対する方針をどのように決めたのかについての信長の思考について、中国の古い兵法家である孫子(そんし)、呉子(ごし)と信長が議論するという形で書かれています。

本当の信長がこのように考えたのかは、誰にも分かりませんが、中国の兵法の古典からどのように作戦を立てるのかという実例のようになっており、兵法をどう使うのかに興味があれば、楽しめる内容となっています。

前半は、先に書いた桶狭間の合戦の他、尾張統一、上洛、越前(えちぜん)の朝倉義景(あさくら よしかげ)討伐、宗教勢力との戦い、朝廷の改暦への口出し、重臣の追放など、信長の行ったことに対して、当時信長がどのような考えの基づいていたのか、丁寧に書いてあります。 これを読むと、信長の行動が、決してその場の感情や思い付きによるものではなく、大名として考え抜いたものであるというのが感じられます。

後半は、本能寺の変に至るまでの経緯について、前作の説を補強する内容となっています。

特に、天下統一を目前に控えた信長が、その先に何を目指していたのか、後に天下統一した豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の時代との対比なども含め書かれています。 そして、その信長の目指していたことこそが、明智光秀に謀反を決断させたという、前作の説につながるようになっています。

また、今度は明智光秀の立場から、謀反を成功させるために何を考えどう動いたのか、著者が「歴史捜査」と名付けた方法で、信憑性のある事件当時の文献の記述とその疑問点を解決していき、どのようにして本能寺の変が起きたのかについて書かれています。 この辺りは、前作の内容とかなり重複しています。

前作と同様、従来の定説と異なる内容が多いですが、全体的に丁寧に説明されているので、納得感のある内容になっていると思います。

この記事を読んで、もし興味を持っていただけたら、ぜひ読んでみてください。

最近、この本の新版が出たようです。