グルコースのブログ

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家紋で見る戦国大名 豊臣家・羽柴家

こんにちは、グルコースです。

戦国シミュレーションゲームで有名な「信長の野望」などでは、各戦国大名のシンボルとして、家紋が使われています。

地図上で、各大名の所有する領土(城)を示すのに家紋が使われていますので、私もそうでしたが、初めのうちは家紋だけ見てもどの大名か分からず、苦労した覚えがあります。上級者(?)の方になると、さすがに家紋を見ればどの大名か分かるようになりますが、家紋自体の名前や詳細など、家紋をまじまじと見たりはしない方もいるのではないでしょうか。

そのような方向けに、戦国大名の家紋を紹介していきたいと思います。

家紋は、歴史ドラマなどでも、旗などに描かれたりしますので、覚えておくとより深く楽しめると思いますよ。

豊臣家・羽柴家の家紋 「五三の桐」「五七の桐」「太閤桐」

今回は、豊臣(とよとみ)家/羽柴(はしば)家です。

下層階級出身から一代で天下人まで上り詰めた豊臣秀吉(ひでよし)(羽柴秀吉)の家になります。

豊臣秀吉羽柴秀吉)と言えば、元々は農民とも足軽とも言われる下層階級の家に生まれたものの、織田信長(おだ のぶなが)の家臣となってスピード出世し、織田信長亡き後は明智光秀(あけち みつひで)を討ったのをきっかけに織田家を事実上支配下に置いて、天下統一を成し遂げた後、関白(かんぱく)、次いで太閤(たいこう、関白を退いた人)となった超有名人ですね。

ちなみに、「関白」というのは、平安時代の歴史を勉強すると、「摂政(せっしょう)」と並んで藤原(ふじわら)氏が独占したとして出てくる有名な役職で、天皇を補佐する役割を持ちます。言ってみれば、日本で天皇の次に偉い人みたいなものです。

豊臣家・羽柴家の概要

元々秀吉以前には「豊臣家」や「羽柴家」というのは無く、秀吉が初代となります。そしてその子の秀頼(ひでより)の代で終わる、非常に短命な家になります。

秀吉は、元々下層階級の出身で、名字を持っていませんでした。おね(ねねという説も)と結婚した際に、奥さんの実家の「木下(きのした)」という名字を初めて名乗ったようです。その後、織田信長の許可を得て、名字を「羽柴」に変えます。ここで羽柴秀吉を初代とする「羽柴家」というものが誕生します。ちなみに、「羽柴」という名字は、当時の織田家の2大家臣だった、柴田勝家(しばた かついえ)と丹羽長秀(にわ ながひで)の名字から1字ずつ取ったものとされており、急速に出世した新参者だが彼らを敬っているという姿勢を見せるパフォーマンスだったとも言われています。すごいゴマすりですね!

その後、織田家を事実上支配下に置き権力を握った秀吉は、天下統一を進め、ついに関白となった後、当時天皇だった正親町(おおぎまち)天皇から「豊臣」という氏(うじ)を特別にもらい、豊臣秀吉初代とする「豊臣家」が誕生します。

ところで、羽柴は「名字」、豊臣は「氏」と書いたのに気付いたでしょうか?

現代、「氏名」というと、「氏」は名字で「名」は名前ということで、「名字」も「氏」も同じものと考える人がほとんどだと思いますが、昔は「氏」と「名字」は明確に区別されていました。

そのため、秀吉は豊臣の氏をもらうことで、「羽柴秀吉」→「豊臣秀吉」となったのではなく、「氏は豊臣、名字は羽柴、名は秀吉」となったわけで、「羽柴秀吉」でも「豊臣秀吉」でもあり続けたのです。

豊臣家・羽柴家の家紋

さて、そんな羽柴家・豊臣家の家紋は桐(きり)紋で、3つあります。 左から、「五三(ごさん)の桐」、「五七(ごしち)の桐」、「太閤桐(たいこうきり)」です。 豊臣秀吉の家紋として一番有名なのは、真ん中の「五七の桐」かと思います。

五三の桐 五七の桐 太閤桐

いずれも、桐紋の一種です。

桐紋は、植物のキリを基にしたもので、下に葉っぱ、その上に花が生えている形です。 上の3つの桐紋の左と真ん中を見ると、葉っぱの部分はほぼ同じですが、花の数が違うことが分かると思います。花の数が「3-5-3」のものを「五三の桐」、「5-7-5」のものを「五七の桐」と呼びます。右の「太閤紋」については後述します。

桐紋というのは、実は、もとは天皇家の家紋です。 天皇家の家紋というと、菊紋が有名ですが、桐紋も持っていました。菊紋は天皇家の正式な紋として、他で使うのを禁止されたり遠慮されたりしたのに対し、桐紋は副紋として、功績のあった家臣に褒美としてあげていたです。

秀吉が桐紋を家紋としたのも、もとは天皇家からもらったものです。

まず、秀吉がまだ織田信長の家臣だった頃、織田信長からもらったのが左の「五三の桐」です。 実は、織田信長も桐紋をもらっていた一人で、自分の家臣である秀吉にも褒美として与えたのです。ただ、織田信長の場合は、天皇家から直接もらったわけではなく、天皇家から桐紋をもらっていた足利家からもらったようです。

次に、秀吉が「豊臣」の氏をもらった時に一緒にもらったのが、真ん中の「五七の桐」です。

桐紋をもらった秀吉は、かつて織田信長がしたように、自分の家臣(大名)にも褒美として桐紋を与えます。ところが、たくさんの人にあげたので、桐紋の人ばかりになってしまったため、「豊臣秀吉」だけが使う桐紋として作ったのが、右の「太閤紋」なのです。個人的には、もとの紋より簡素化された感じがして、派手好きな秀吉にしては意外な感じがしますが、皆さんはどう感じたでしょうか?

桐紋は、日本で多く使われている家紋の1つで、十大家紋の1つとされています。

同種の家紋の人物・家

他に桐紋を使っている人物・家としては、以下が有名です。 桐紋は天皇家の紋ということで、元々自分の家が桐紋という人物はおらず、褒美にもらった人ばかりのようです。

織田信長については、戦国大名の家紋 織田家でも触れています。

また、桐紋は元々天皇家の紋ということから、現在の日本政府も使っています。